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2017年度 退任教授記念講演会要旨
《退任教授》氏名をクリックすると要旨が表示されます。
川口 章古賀 泰裕高木 敦司田村 悦代徳田 裕|(以上敬称略・50音順)
《退任教授》教員所属表順
医科プロバイオティクス学 事始
古賀 泰裕(基礎医学系生体防御学)
平成5年に、医学部感染症部門に教授として赴任し以後25年間、大禍なく勤めることができたことは、私にとって大きな満足であります。東海大学での私の研究を要約するならば、常在細菌叢研究に立脚した「医科プロバイオティクス学」の樹立です。19世紀後半にコッホ、パスツールらが、コレラ菌、ペスト菌、結核菌等々を次々に発見し、細菌学の黄金時代を築いて以降、医科細菌学は病原細菌学であったと言っても過言ではありません。しかし、現代、特に先進国ではこれらの感染症は非常に稀となり、かわって今やPandemicsとも称される肥満/2型糖尿病に代表されるメタボリック症候群、あるいはアレルギー疾患が蔓延するに至っています。そして、体内の常在細菌叢がこれらの疾患の発症に大きな影響を及ぼしていることが最近の研究で明らかにされつつあります。今後、医学部の細菌学教育においてもこれらの領域を大きく取り上げることを期待します。【2018.3.5】
心不全の実験的治療
川口 章(基盤診療学系再生医療科学)
【2018.3.12】
ヘリコバクター研究を振り返って
高木 敦司(内科学系総合内科学)
【2018.3.5】
乳がん診療40年の光と影
徳田 裕(外科学系乳腺・内分泌外科学)
昭和53年(1978年)慶應義塾大学医学部を卒業して,すぐに、東海大学医学部付属病院に研修医として勤務してから、退任までの40年間の総括です。 私の人生に大きな影響を及ぼしたのは、故三富教授の発案からはじまった自家骨髄移植を併用した大量化学療法の確立でした。南アフリカのBezwoda教授がJ Clin Oncolに発表した大量化学療法に関するランダム化比較試験で多数の症例捏造が明らかになった2000年まで、全国を講演して回りました。病理の上山教授とともに将来の研究材料を蓄積するため乳癌をはじめとする多数のヒト腫瘍組織をヌードマウスに移植しました。乳癌の継代移植可能株の樹立は、極めて困難で、今でも世界のトップクラスの樹立株数と思います。外科チーフ終了後の小児外科研修中に故横山教授のご指導により、世界初の中心静脈栄養下における銅欠乏小児症例を発表し、微量元素のにわか大家になってしまいました。その後、免疫学の垣生教授の推薦で、1985年から2年間、UCLAに腫瘍免疫の研究で留学したことも、かけがえのない経験でした。1990年からヒト化抗HER2抗体の前臨床と治験にかかわり、1998年の米国承認を経てハーセプチン®として2001年本邦で承認されました。承認までに行われた試験は、第1相試験のみでした。背景には、乳癌の患者さんたちによる当局への働きかけが影響したと言われています。Drug lagでは、個人輸入の処方箋を約50人分作成しました。再発患者さんやそのご家族とともに当時奇跡的とも思える効果に感涙しました。とくに1997年に第1相試験に参加し、治療により完全奏効し、約15年間無治療で再燃を認めなかった。大量化学療法後の多発肺転移再発症例の経験は、治験に対する考え方を大きく変えました。以来、アカデミアに属する医療機関の重要な使命は、有効な治療法をすみやかに確立し、希望する患者さんに提供することと信じています。【2018.3.12】
人と声との出会い、そして明日へ
田村 悦代(専門診療学系耳鼻咽喉科学)
1979年埼玉医科大学を卒業後入局した慶応義塾大学医学部耳鼻咽喉科学教室で、故斎藤茂司教授に出合い、医師として耳鼻咽喉科医として音声外科医としての薫陶を受けた。入局した当時の医局は、まさに喉頭微細手術の祖である斎藤教授の研究・臨床が花開いた時期であり、声帯振動の基礎研究の実験や臨床に参加し、基礎理念に基づく臨床の重要性を学んだ。この理念が、その後勤務した防衛医科大学校耳鼻咽喉科学講座における、領域をこえた基礎研究の源になった。そして、2003年より本学専門診療学系耳鼻咽喉科に勤務、2013年より東京病院耳鼻咽喉科・ボイスクリニックが開設され、耳鼻咽喉科医であると同時に音声外科医としての臨床に従事させていただいた。今後も、斎藤教授に導かれた「声」との出会いを追求しながら、後進の育成はもとより、東海大学医学部発展の一助になれるよう微力ながら努力できれば幸いである。最後に、本学に赴任以来、多くの方々との出会いに恵まれ、無事に定年を迎えられたことに深く感謝申し上げたい。【2018.3.12】